中国・武漢で発生した新型コロナウイルスが猛威を振るい、感染拡大の中心が欧米諸国に移動するにつれ規模と速度を増し、世界保健機関(WHO)がパンデミックと宣言するグローバルな危機に発展した。パンデミックとは世界的な大流行を意味する言葉だが、とくに、イタリア、スペイン、フランスがひどい。原因も分からず、病源も特定されず、どこまで拡大するのか予測もつかない。3月22日現在、世界165カ国・地域の感染者数29万1420人、死者1万2725人は規模・速度においてこれまでの予想を大きく越えている。これから先どれだけの人が感染し、何人犠牲になるのかも分からず、不気味である。幸い、治療薬だけはいくつかの事例で効果が期待できるという報道もあるが、ワクチンの開発に至っては年単位の課題で感染拡大に全く追いつけない。
しかも、パンデミックとなった新型コロナウイルスの感染拡大は公衆衛生上の危機に止まらず、人やものの流れの遮断を軸に人間活動を封じてしまう経済社会の危機でもある。2008年のリーマン・ショックを上回る経済的脅威となる可能性も否定できない。そのため、各国政府は緊急措置で大型イベントの中止、人の外出禁止・自粛要請、旅行制限、各種集会の延期、企業の業務休止等を訴えているが、経済活動に甚大な被害が出るのも避けられそうにない。早くも、実体経済の悪化を先取りする形で株価が急落し、世界の時価総額は1~3月中に22%も減少した。「世界の工場」である中国での生産休止で世界のサプライチェーンが寸断され、航空・運輸産業や観光業にも大きな被害が出ている。
金融・資本市場にも激震が走り、各国中央銀行も一斉利下げに動いた。3月16日、先進7カ国(G7)も新型コロナウイルスに対処する緊急TV会議を開き、「雇用と産業を支えるため、金融・財政政策を含むあらゆる手段を動員する」とした共同声明を発表した。政策総動員である。当面の施策は、①各国民を守る公衆衛生政策での連携 ②雇用の維持と経済成長の回復 ③国際貿易・投資の支援 ④科学、研究、技術面での連携促進等である。
しかし、こうした政策がどこまで効果を上げるかこれまた不確実で、各国政府、関係機関、企業、団体等の一致した迅速な行動と協調体制がカギを握る。ある新聞によれば、「今回の本質は、お化けのような怖さ、目に見えず実態が分からないことへの不安にある」という。本当にそうか?
新型コロナウイルスが原因も分からず、不気味な正体と強力な感染力を持った疾病である点では「お化け」の表現もあながち間違ってはいない。しかし、なぜそうなっているのか、もう少し科学的なデータや根拠に基づいた説明がなされないといけない。今回の新型コロナウイルスの感染拡大を見ると、気候変動危機と合わせ、経済やビジネス、人間活動の野放図な拡大、いわゆるグローバル化が大きく手を貸しているように感じられてならない。
過去30年間、世界は、ヒト、モノ、カネの自由な移動と交流が人間社会に富と豊かさを保証する最善の道と認識し、その方向で動いてきた。お陰で、多くの国の政府と国民がその恩恵に与かり、溢れるばかりの富と豊かさを手にした。他方で、国民国家の規範や国民の生活基盤強化の課題が後方に押しやられ、地球環境破壊も進んだ。米中貿易経済摩擦に始まる亀裂と分断の進行がこの状況をさらに悪化させている。異常気象や大水害に始まる気候変動危機が取り沙汰されてすでに久しいが、昨年は日本でも暴風雨や洪水、地震の惨禍がひどかった。
今回の新型コロナウイルスによるパンデミック危機もこれと共通した側面を持っていないか?グローバル化が原因で悪化しているパンデミックにグローバルな手が打てない。おかしいではないか?経済社会のグローバル化に合わせてのガバナンス(統治機能)の構築が間に合っていない。グローバル化の下での「国民国家」のあり方、新しい時代に合わせた理念や意識の確立、必要な知識・知見の導入、制度やシステムの整備等への努力も不足している。パンデミック危機や保健衛生上の対策についても、各国共通して基本的な点で取り組みに遅れがあったのも間違いない。
新型コロナウイルスの感染が初めて中国で明らかにされてからすでに2ヵ月、感染危機はパンデミックとなったが、日本ではマスク一つ市民に行き届いていない。日本のマスク供給の8割を中国に頼ってきたつけでもある。新型コロナウイルスの感染危機の拡大を機に、野放図なグローバル化と国民生活の脆弱化を再考する機会にしなくてはならない。(了)