<ロシアによるウクライナ侵攻で核兵器使用が懸念されるなか、長崎での悲劇と戦争のない世界への願いを伝えたい。核の恐ろしさは兵器だけでなく、すべてを失い貧困の中を生き抜かなくてはならないこと>
前触れもなく、爆撃機が現れた。原子爆弾1発が投下され、中空で爆発した。1945年8月9日午前11時2分。原爆が長崎市を破壊した。
私は爆心地から3.2キロ離れた自宅の2階にいた。爆撃機の音が聞こえ、直後に白い光に囲まれた。即座に1階へ駆け下りてしゃがみ込み、それからすぐに意識を失った。
爆発音や爆風の記憶はない。気が付くとガラス戸の下敷きになっていた。奇跡的にもガラスは割れておらず、大けがもなく生き残ることができた。
丘が視界を遮っていたため、その日の悲劇を直接目にすることはなかった。爆心地帯に足を踏み入れたのは3日後のことだ。そのとき見たものは決して忘れられない。爆心地から半径2キロ以内のあらゆる場所に、死者や重傷者が横たわっていた。